京野菜を活かす「引き算」の仕事
―塩も油もいらない、素材が教えてくれること―
東京・神泉で「ぽつら ぽつら」「うつら うつら」を営み、両店でミシュラン・ビブグルマンを獲得した料理人・米山有(ヨネヤマ タモツ)氏が綴るコラムです。京野菜を前にしたとき、料理人が選ぶべき「引き算」という仕事について語ります。
何もしない美味しさとの出会い
子どもの頃、畑で真っ赤に実ったトマトを、もいだその場でかじった記憶はありませんか?
青臭さと、果汁の甘酸っぱさと、口の中いっぱいに広がる夏の香り。何の味つけもしていないのに、「こんなに美味しいんだ」と驚きとともに笑ってしまった——私にとって、料理の原点はそんな体験でした。
それから年月が経ち、料理人になって、ようやく思い出すようになったのです。
「ああ、あのときの味は“何もしない美味しさ”だったんだな」と。
子どもの味覚と「素材そのまま」の科学
幼少期にかじった畑のトマトが忘れられないのには、科学的な理由があります。収穫直後のトマトは糖度6〜8度、リコピンやグルタミン酸が最も活性化した状態。流通を経るうちに香気成分のヘキサナールは半減するとされ、畑で食べる味わいは文字どおり一期一会です。
京都の農家では、朝5時台に収穫した京野菜をその日のうちに料理店へ届ける「朝採り直送」が根づいています。鮮度が味を決めるという考え方は、引き算の料理と深くつながっています。
賀茂なすが教えてくれること
京野菜というものには、その“何もしない美味しさ”があります。
たとえば賀茂なす。輪切りにして、油を敷かずに網に乗せ、じっくり炭火で焼いていくと、皮の中で果肉がふっくらと膨らみ、とろけるようにやわらかくなります。
ナイフを入れると、じゅわっと滲む果汁。ひと口で、まるで上質なステーキのような旨味と香ばしさを感じさせてくれる。何もかけず、塩すら不要です。ただただ、素材の甘みと火の力があればいい。
そんなとき、私はふと手を止めたくなるのです。
「これ以上、何かを足してしまってはいけない」と。
賀茂なすの炭火焼き|温度と時間の目安
賀茂なすを炭火で焼く際は、炭の表面温度250〜300℃が理想です。厚さ2cmの輪切りなら片面4〜5分ずつ、中心温度が85℃に達するととろける食感に仕上がります。油を使わない場合は、焼き網に薄く塩をふっておくと皮が張りつきにくくなります。
賀茂なすの旬は6月下旬〜9月上旬。京都市北区上賀茂や亀岡市が主産地で、直径10cm以上・重さ300g前後のものが最上とされます。
技術ではなく引き算の勇気
料理の技術というものは、積み重ねれば積み重ねるほど「何かを足す方向」に進みがちです。旨味を重ね、香りを重ね、食感を重ねて、一皿を豊かにしていく。
でも、京野菜と向き合っていると、逆に「削ぎ落としていく勇気」が必要になる。調味料も、手間も、飾りも、どこまで減らせるか。それを試されているような気さえするのです。
万願寺とうがらしなら、真夏の日に穫れたものを、強火でさっと焼いて表面を軽く焦がすだけでいい。そこに柚子をひと削り。それだけで一皿が完結する。余計なものを足さないことが、かえって料理に深みを与えてくれるのです。
それは、技術を捨てることではありません。むしろ、引き算こそが技術であり、経験の証だと思います。
九条ねぎに学ぶ“素材との対話”
たとえば九条ねぎを極弱火の湯でそっと炊くと、ぬめりの中に甘みと旨味が溶け出して、とろとろのスープになります。
ここに出汁を加えてしまえば、たしかに「料理」になるのかもしれない。
でも、私はあえて加えません。
素材が本来持っている味を引き出すこと。
そのまま受けとめること。
これは技術以上に難しく、料理人としての“姿勢”を問われる仕事です。
料理というのは、素材と対話をする営みだと思います。
「今日は、どう使われたいか」「どういう風に味わってもらいたいか」——そんな風に問いかけていると、不思議と余計な調味は消えていくのです。
九条ねぎの甘みを引き出す火入れのコツ
九条ねぎを極弱火で炊くときの湯温は70〜80℃が適温です。沸騰させるとぬめり成分(フルクタン)が分解され、甘みが半減します。20〜30分かけてじっくり火を入れると、ねぎ本来の糖度が最大限に引き出されます。
九条ねぎは京都市南区九条が発祥。冬場(12〜2月)の霜降りねぎは糖度が8度を超え、生でも甘みを感じられるほど。浅葱と深葱の2系統があり、料理によって使い分けます。
引き算は素材への敬意
“引き算”というと、時に手抜きに聞こえるかもしれません。
でも、私は声を大にして言いたいのです。
「引き算」は、素材への最高の敬意です。
料理人が腕をふるうのではなく、素材に語らせる。
京野菜のような、力のある野菜たちは、その静かな語り口を確かに持っています。
だから私は、今日も余計な手を加えないように、ただ静かに火に向かい、野菜の声を聴いているのです。
引き算の調理で活きる京野菜5選
引き算の考え方が特に映える京野菜をご紹介します。賀茂なす(炭火焼き)、万願寺とうがらし(直火炙り)、九条ねぎ(弱火炊き)、聖護院かぶら(蒸し煮)、聖護院大根(薄味含め煮)。いずれも調味料を最小限にすることで素材の輪郭がくっきり浮かび上がります。
これらの京野菜は、京野菜カレンダーで旬の時期を確認して仕入れると、引き算の調理がさらに活きてきます。
家庭で実践する「引き算」のポイント
家庭でも引き算の料理は実践できます。まず旬の京野菜を選ぶこと。次に、調味料は塩ひとつまみから始め、足りなければ少しずつ加える「引き算方式」で味を決めます。フライパンより魚焼きグリルや網焼きを使うと、油なしでも香ばしく仕上がります。
乾燥野菜を使えば、水分が抜けた分だけ野菜の旨みが凝縮され、何も足さなくても深い味わいを楽しめます。保存もきくため、旬の京野菜を一年中味わう手段としてもおすすめです。
あわせて読みたい京野菜コラム
引き算の料理をさらに深めたい方には、以下の記事もおすすめです。シーズナルコースの組み立て方では、季節ごとの京野菜をどうコースに仕立てるかを解説しています。また、火加減と京野菜の関係を知ることで、引き算の調理がさらに洗練されるでしょう。サステナブルな食の観点からも、素材を活かす引き算の考え方は注目されています。
