料理人をしていると、「旬の食材をどう扱うか」という問いに、常に向き合うことになります。野菜は生き物です。もっとも美しい瞬間はほんの短い間に訪れ、気温や雨の具合ひとつで、その顔はがらりと変わってしまう。だからこそ「今しかない味」をどうお客様に届けるかは、いつも私の頭を悩ませ、同時にわくわくさせてくれる課題でもあるのです。その中で、私が大切にしているのが「乾燥」という技術です。乾燥はただ保存のためではなく、旬を未来へ届けるための「もう一つの料理法」だと思っています。万願寺とうがらし|夏の記憶を冬へ運ぶたとえば、真夏に収穫した万願寺とうがらし。8月の盛りに採れるものは、果肉が厚くて甘みが強く、香りも濃厚です。その姿をそのまま干してみると、ただのとうがらしではなく「濃縮された夏の記憶」になります。冬の寒い夜、炊き合わせに少し加えてみると、干した万願寺からじんわりと戻る甘みと香りが広がり、夏の空気を呼び覚ますような味わいになる。そこには「乾燥」という技法が、時間を超えて季節をつなぐ力を発揮しているのです。賀茂なす|乾燥が生む新たな風格賀茂なすもまた、干すことで別の顔を見せてくれる野菜です。ふっくらとした果肉を薄切りにして天日にかければ、余分な水分が抜けて旨みがぎゅっと凝縮されます。炊き込みご飯に使えば、油を吸ったときとは違う、滋味深い甘さが立ち上がる。新鮮な賀茂なすの瑞々しさとは対照的に、「乾燥賀茂なす」には落ち着きのある旨みが宿り、冬の台所にふさわしい風格を与えてくれます。九条ねぎ|干すことで生まれる新しい声色九条ねぎだって、干すと印象が変わります。刻んで天日に当てれば、青々とした香りはやや和らぎ、代わりに甘みが強まる。乾燥させた九条ねぎを粉末状にして塩と合わせれば、万能な「ねぎ塩」として、一年中料理を支えてくれる。季節ごとに違う顔を持つ九条ねぎですが、乾燥という工程を経ることで、また新しい声色を手に入れるのです。堀川ごぼう|香ばしさを閉じ込める知恵そして忘れてはならないのが、堀川ごぼう。立派に育った堀川ごぼうを薄く切り、じっくりと乾かすと、その香ばしさは一層際立ちます。水で戻すときに立ちのぼる香りは、まるで冬の囲炉裏端でごぼうを焼いたような力強さ。炊き合わせや出汁のベースにすれば、料理全体に奥行きを与えます。乾燥ごぼうは保存性も高く、昔から京の台所を支えてきた「知恵の味方」でもあります。乾燥はもう一つの“火入れ”乾燥野菜の面白さは、単なる保存ではなく「新しい表情」を生むところにあります。水分が抜けることで繊維の食感が変わり、香りは凝縮し、時に別の風味すら立ち上がる。つまり、乾燥はもう一つの「火入れ」なのです。火で一気に旨みを引き出すのではなく、太陽と風がじっくりと野菜を仕上げていく。そこには、料理人の手を超えた自然の仕事が関わっていて、だからこそ生まれる深みがあるのだと思います。季節を超える一皿実際、冬にお客様にお出しする料理の中で、乾燥野菜は大きな力を発揮します。たとえば、聖護院かぶらと乾燥万願寺の炊き合わせ。かぶらのやさしい甘さに、干し万願寺の凝縮した香りが溶け合い、しみじみとした味わいになる。あるいは、乾燥ごぼうを利かせた出汁で炊いた賀茂なす。口に入れた瞬間に、ごぼうの香ばしさと賀茂なすのとろける食感が響き合い、季節を超えた一皿が完成します。旬を未来へ届けるということ料理人としての喜びは、「今この瞬間の野菜」を生かすことにありますが、同時に「次の季節にも旬を届ける」工夫を重ねることにもあります。乾燥という技術は、その両方を叶えてくれる。旬を閉じ込め、時間を超えてお客様の前に広げてくれる。その一皿に込められた季節の記憶が、食べた人の心をそっと温める。そんな場面に立ち会えると、私はあらためて「料理をしていてよかった」と思うのです。おわりに|旬を運ぶ小さな舟乾燥野菜は、未来の食卓に旬を運ぶ小さな舟のような存在です。今日も夏の名残を干し上げながら、私は静かに思います。「この野菜を、冬のお客様にどんな景色でお見せしようか」と。