料理というのは、口に入れて味わうもの。そう思われがちですが、実際にはもっと前から始まっています。包丁を入れたときに立ちのぼる青い香り、火にかけた瞬間に漂う甘い匂い。その鼻先に届く香りこそ、料理人にとって最初の合図であり、食べ手にとっての入り口でもあるのです。九条ねぎ|香りが教えてくれる“生”と“熟”京野菜を扱っていると、その香りの豊かさに驚かされます。たとえば九条ねぎ。まな板の上で刻むと、ふわっと広がる青々しい香り。鼻を近づけなくても、空気の中にすぐ溶け出して、包丁を持つ手を思わず止めたくなるほどです。生であれば少し辛みを帯びていますが、火を入れると一転して甘さへと変わる。その香りの移ろいは、ねぎが持つ「生」と「熟」の二つの顔を感じさせてくれます。ししとう|焦げの香りが告げる焼き上がりししとうを焼くときもまた、香りの魔法に出会います。網の上でじりじりと焼かれていると、最初は青い香りが漂い、やがて焦げのほろ苦さが混じってくる。その瞬間に「そろそろ取り出しなさい」と野菜自身が告げているようで、料理人としては香りに耳を澄ませるように火加減を見極めるのです。お客様の前に出すと、まず香ばしさが鼻をくすぐり、それだけで一口目を急がせる。香りが、食欲を呼び覚ますのです。聖護院かぶら|湯気に溶けるやさしさ冬の聖護院かぶらも、火を入れたときの香りが実に穏やかです。土の香りをほんのり残しながら、柔らかな甘みが出汁と共に湯気となって立ちのぼる。その香りを嗅いだだけで、体が自然と緩み、あたたかさに包まれるような気持ちになります。味わう前から「これはやさしい料理だ」と感じさせてくれる。香りには、食べる人の心を解きほぐす力があるのだと思います。堀川ごぼう|根の深さを香りで語る堀川ごぼうは、さらに奥深い香りを持つ野菜です。皮をむいた瞬間から漂う土の香り、煮含めていくうちに立ち上がる甘く濃い匂い。鼻先でその変化を追いかけていると、「ごぼうは根の深さを香りで語っているのだ」と思わされます。食感や味わいももちろん魅力ですが、香りの記憶はもっと長く残る。煮物を口にした後も、鼻の奥にやわらかな余韻がしばらく残り続けるのです。香りは“仕上がり”の合図香りは、料理人にとって「仕上がりの目安」にもなります。九条ねぎを油でさっと炒めるとき、香りが立ったらすぐ火を止める。それ以上炒めると甘みは増しますが、香りが飛んでしまう。万願寺とうがらしを素揚げするときも、油の中で弾ける香りが合図。香りを逃さないうちに引き上げることで、口に入れたときの鮮烈さを残せる。味を測る前に、香りがすでに「できあがり」を知らせてくれるのです。季節の記憶としての香りまた、香りは季節の記憶とも結びついています。夏の朝、畑で摘んだきゅうりの青い香り。秋の終わり、堀川ごぼうを切ったときの濃い土の香り。冬の夜、聖護院かぶらを含ませた鍋の湯気。料理人として日々香りと向き合ううちに、香りがまるで季節の手帳のように積み重なっていく。だからこそ、食卓でその香りを届けると、お客様も「季節を食べている」と実感してくださるのです。料理人にとっての香りの喜び香りで味わうことの面白さは、食べ手だけでなく、作り手にとっても大きな喜びです。包丁を入れたときの匂い、火を入れたときの湯気。料理の過程そのものが香りに満ちているから、調理中にすでに一度「料理を味わっている」のだと思います。そして、その喜びが盛りつけへとつながり、最終的には器の上で香りと景色をひとつにする。料理は口に運ばれる前から始まり、香りの記憶と共に長く続いていくものなのです。おわりに|香りの声を聴くということ料理を作るとき、私はいつも「香りの声をどう活かすか」を考えています。香りは一瞬で消えてしまうものだからこそ、その儚さを逃さず料理に乗せたい。九条ねぎの青さ、ししとうの香ばしさ、聖護院かぶらのやさしさ、堀川ごぼうの深み。それぞれの香りをどう響かせ、どうお客様に届けるか。それが料理人としての大きな楽しみであり、終わりのない探求でもあるのです。