高層ビルが立ち並ぶ東京の街にも、かつては豊かな農地が広がり、四季折々の野菜が地元で育てられていました。小松菜や滝野川ごぼう、内藤とうがらしなど、今も名を残す「江戸東京野菜」は、江戸時代から受け継がれてきた都市型の伝統野菜です。しかし、都市化の波に飲まれ、生産農家の高齢化や農地の減少により、これらの野菜は姿を消しつつあります。本記事では、江戸東京野菜とは何か、どのように育まれてきたのか、そして現代における継承の取り組みを通じて、都市に根付いた食文化の再発見を目指します。江戸東京野菜とは?失われゆく食文化の宝江戸東京野菜という言葉を聞いたことがありますか?私たちが住む東京には、江戸時代から脈々と受け継がれてきた伝統野菜が存在します。その数、なんと52種類(2024年10月現在)。これらは単なる野菜ではなく、江戸から昭和中期までの長い歴史を生き抜いてきた「食文化の宝」なのです。江戸東京野菜は、JA東京中央会によって下記のように定義されています。「江戸期から始まる東京の野菜文化を継承するとともに、種苗の大半が自給または、近隣の種苗商により確保されていた昭和中期までのいわゆる在来種、または在来の栽培法等に由来する野菜」しかし近年、都市化による農地の減少や、効率を重視した交配種の普及により、これらの伝統野菜は徐々に私たちの食卓から姿を消しつつあります。失われゆく都市の食文化を守るため、今、江戸東京野菜の価値が見直されているのです。江戸東京野菜の歴史と成り立ち江戸東京野菜の始まりは江戸時代初期にさかのぼります。当時の江戸は急激な人口増加で新鮮な野菜が不足していました。そこで幕府は近郷に畑を設け、関西から呼び寄せた農民たちに野菜を作らせたのです。また、参勤交代で江戸に集まった地方大名たちも、国元から持ち込んだ野菜の種で栽培を始めました。こうして全国の野菜の種が江戸に集まり、この地の気候や風土に合った野菜だけが固定種として定着していったのです。現在の東京都は江戸と呼ばれた地域より大きくなっています。明治26年に三多摩地域が神奈川県から東京府へ移管されたためです。そのため、「江戸東京野菜」という呼称が平成23年にJA東京中央会によって定められました。これにより、広く東京都内で生産された伝統野菜を都民に提供できるようになったのです。代表的な江戸東京野菜とその特徴江戸東京野菜には、それぞれ個性豊かな特徴と物語があります。練馬大根・亀戸大根かつて都市近郊の畑で多く栽培されていた大根の中でも、長さ1メートルに達するような品種は希少であり、そのひとつが練馬大根です。やわらかく深い土壌に適し、すらりと伸びた姿と、辛味の効いた味わいが特徴です。煮るとその辛味はやわらぎ、旨味へと変わっていくため、漬物や煮物に広く使われてきました。一方、亀戸大根は小ぶりで柔らかく、特に白く美しい茎が印象的です。その白さが珍重され、「粋な大根」として人々の注目を集めました。まだ春野菜が出回らない早春の食卓を彩る存在として、地元では今も親しまれています。こうした大根たちは、ただの食材ではなく、土地の風土や人々の暮らしを映し出す「都市の伝統野菜」として、今も静かに受け継がれています。品川かぶ・金町小かぶ江戸時代、品川一帯で栽培されていた品川かぶは、見た目は大根に似た長かぶです。一度は絶滅しましたが、2008年に復活。その後、北品川の八百屋が町おこしに導入し、現在では地域一体となって普及に取り組んでいます。毎年12月に品川神社で開かれる品評会では、青森県川内町に伝わる郷土料理「品川汁」(豆腐をすり潰した汁物)に品川かぶを入れて、来場者に提供されています。この「品川汁」には、江戸時代に川内の船乗りたちが江戸沖で難破したところを品川の漁師に助けられ、その際に振る舞われた温かい汁物を「品川汁」と名付けて感謝の意を伝えたという心温まる物語があります。失われゆく伝統野菜を守る取り組みかつて東京の食生活を支えてきた伝統野菜たち。しかし、農地の減少や効率重視の現代農業の中で、これらの野菜は一時、その姿が食卓から消えつつありました。収穫量が少なく栽培に手間がかかるという理由からです。それでも「今日まで引き継がれてきた命を絶やしてはいけない」という想いから、伝統野菜を守り普及させる活動が広がっています。例えば荒川区では、かつて栽培されていた「谷中生姜」「三河島菜」「汐入大根」などの伝統野菜の復活に取り組んでいます。谷中生姜は、かつて荒川の地で栽培され、スジがなく香りも良いとして贈答品にも使われていました。関東大震災後、都心部からの人口流入により農地が減り、戦前には栽培されなくなりましたが、その名前は今も「谷中生姜」として残っています。また、三河島菜は江戸を代表する漬菜として、鷹狩りに訪れた将軍にも献上されたという記録が残っています。白菜が日本に伝わってきたことにより栽培されなくなりましたが、江戸東京・伝統野菜研究会の試みにより、この三河島菜の子孫種である「仙台芭蕉菜」の流れから、「青茎三河島菜」として復活を遂げました。あなたも地元の伝統野菜に興味を持ってみませんか?伝統野菜は単なる食材ではなく、その土地の歴史や文化を伝える大切な遺産です。私たちが意識して選び、食べることで、この貴重な食文化を未来へつなげることができるのです。江戸東京野菜を味わう江戸東京野菜の魅力は、何と言ってもその個性的な味わいにあります。「野菜は本来、気候や土によって育ち方が違うので、同じように育たないのは"自然"のこと。それにいまは、苦みや臭いを無くした交配種の野菜によって、野菜本来の味もわからなくなっている」と大竹さんは語ります。固定種の野菜は、大きさや形の個体差が生じ、規格通りに育たないのが難点ですが、それこそが自然の姿であり、魅力なのです。現在、江戸東京野菜はJAの店舗で購入できるほか、これらを食材として使うレストランも増えています。季節限定ではありますが、その土地ならではの味わいを楽しむことができます。例えば、練馬大根の辛味を活かした漬物や、亀戸大根の美しい白い茎を活かした料理など、江戸東京野菜ならではの調理法も復活しています。また、八王子市では『川口エンドウ』『高倉ダイコン』『八王子ショウガ』という3品目の江戸東京野菜が残されています。多摩・八王子江戸東京野菜研究会の福島秀史さんは「八王子に伝統野菜があることは財産。100年200年先まで種がリレーされるようにしていきたい」と語ります。まとめ:失われゆく食文化を未来へつなぐ江戸東京野菜は、単なる野菜ではなく、江戸時代から現代まで続く食文化の物語です。都市化や効率化の波に押され、一時は姿を消しかけたこれらの伝統野菜。しかし、その価値を見直し、守り、伝えようとする人々の情熱によって、今また私たちの食卓に戻りつつあります。江戸東京野菜には、それぞれに歴史や開発についての物語があり、味や形など個性豊かで魅力にあふれています。これらの野菜を知り、味わうことは、先人たちの知恵や工夫に触れることでもあるのです。あなたも機会があれば、ぜひ江戸東京野菜を探してみてください。その独特の味わいと共に、失われゆく都市の食文化の一端に触れることができるはずです。参考:JA東京中央会「江戸東京野菜について」(参照日:2025/08/04)https://www.tokyo-ja.or.jp/farm/edo/SHUN GATE「野菜がつなぐ“物語”「江戸東京野菜」(参照日:2025/08/04)https://shun-gate.com/roots/roots_56/日本の食べ物用語辞典「品川汁」(参照日:2025/08/04)https://japan-word.com/shinagawajiru荒川区公式サイト「復活!江戸東京伝統野菜」(参照日:2025/08/04)https://www.city.arakawa.tokyo.jp/a022/kankoleisure/tokusanhin/dentoyasai.html