料理の面白さというのは、実はとても些細なところに隠れているのだと思います。たとえば「切り方」。同じ野菜でも、包丁の入れ方ひとつでまったく別の料理になってしまう。野菜の声をどう聴き取るか、その瞬間に料理人の仕事が表れるのです。聖護院かぶら|厚みが変える物語京野菜を扱っていると、そのことを強く感じます。聖護院かぶらを思い浮かべてください。厚めに切って炊けば、ふっくらとした食感を残しながら、中まで出汁を含ませることができます。でも、薄く削るように切れば、まるで布のようにやわらかくなり、口の中でとろりとほどける。厚みの違いは、食感だけでなく「料理の物語」を変えてしまうのです。賀茂なす|輪切り、縦割り、角切りの妙賀茂なすもまた、切り口の妙を感じさせてくれる野菜です。輪切りにして田楽にすれば、焼き面に照りが出て、見た目にも豪華な一皿になります。けれども縦に大ぶりに割れば、断面から果肉の瑞々しさが見え、煮物にしたときの存在感が増す。さらに細かく角切りにして炒めれば、油を吸ってまったく別の味わいに。ひと包丁が、賀茂なすのキャラクターを何通りにも変えてくれるのです。九条ねぎ|切り口が変える“声色”九条ねぎを刻むときも同じです。繊細に小口切りにすると、青い香りが立ち上がり、薬味として料理を支える役割を果たします。でも斜めに大きく切れば、炒めものや鍋の中で甘みをぐっと引き出して、主役にもなれる。さらに白髪ねぎのように細く切り揃えれば、口に入った瞬間に軽やかな歯ざわりを生み、香りも爽やかに広がっていく。切り口は、ねぎにとって「声色」を変えるための楽器のようなものなのです。万願寺とうがらし|包丁ひとつで旬を変える万願寺とうがらしも、切り方次第で表情を大きく変えます。丸ごと焼けば果肉の甘さが際立ち、シンプルに「万願寺らしさ」を楽しめます。けれども細かく刻んで炒めれば、苦みがアクセントとして働き、料理全体の引き締め役に回る。乾燥させてから切れば、さらに凝縮した香りが立ち上り、冬の炊き合わせで深みを生む。包丁の入れ方ひとつで、旬の味をどう届けるかが決まるのです。堀川ごぼう|形が生む“料理の呼吸”堀川ごぼうのような根菜は、さらに奥が深い存在です。大ぶりに筒切りにして煮含めれば、中心までじんわりと旨みがしみ込み、堂々とした主役になります。でも薄くささがきにすれば、香ばしさが一気に引き出され、きんぴらとして小皿を飾る。乱切りにすると、煮物にリズムが生まれ、口の中でも変化を楽しめる。切り方は単なる形の違いではなく、料理全体の「呼吸」を決めるものなのだと思います。包丁が教えてくれる“野菜の声”料理人として日々包丁を握っていると、野菜の声を聴くのは、実はこの「切る」という瞬間なのだと気づかされます。硬さや水分の多さ、香りの立ち方。包丁が刃を入れたときに伝わってくる感覚が、「今日は厚めに切ろう」「これは薄く削った方がいい」と教えてくれるのです。だから切り方に正解はなく、その日の野菜との対話の中で自然に形が決まっていく。切り口は料理の“最初の景色”さらに面白いのは、切り口が料理人と食べ手をつなぐ「最初の景色」でもあることです。皿に盛られたとき、断面の美しさや厚みの加減は、味を感じる前に視覚で食欲を呼び起こします。賀茂なすの照り、聖護院かぶらの白さ、九条ねぎの緑。切り口は、器の中で「季節の絵」を描く筆のようなものでもあるのです。おわりに|ひと包丁の感性を信じて切り方を考えるとき、私はいつも「この野菜をどんな顔でお客様に会わせたいか」を想像します。力強い存在感を見せたいのか、軽やかに添える役割にしたいのか。それによって厚さも形も変わっていきます。そして、その小さな選択の積み重ねが、コース全体の呼吸を決め、食べる人の心に残る一皿へとつながっていくのです。料理は火加減や味付けだけではなく、「切り口」からすでに始まっています。ひと包丁が生む違いを大切にできるかどうか。それが料理人の感性を磨き、京野菜の魅力を最も美しく伝える手段になるのだと、私は日々実感しています。