東京・神泉で「ぽつら ぽつら」「うつら うつら」を営み、両店でミシュラン・ビブグルマンを獲得した料理人・米山有(ヨネヤマ タモツ)氏が綴るコラムです。万願寺とうがらしを通して、「旬」の移ろいと京野菜の奥深さを語ります。初夏と盛夏で変わる万願寺とうがらしある夏のことでした。私は、いつものように届いた万願寺とうがらしを手に取って、ふと「これ、本当に同じ野菜なのかな」と思ってしまったんです。6月の頃の万願寺とうがらしは、手に取るとしっとりとした艶があり、切ると青々しい香りがふわっと立ちのぼります。火を入れると皮は軽やかに弾け、かすかにほろ苦くて、どこか涼しさを感じさせる味わいに。まるで初夏の朝の空気を閉じ込めたような、みずみずしい一皿になります。ところが8月になると、がらりと表情が変わるんです。果肉は厚みを増し、包丁の刃がすっと吸い込まれるようなやわらかさに。火を入れれば甘みが広がり、とろけるような食感に。焼き目の香ばしさと合わされば、夏の盛りの濃密な空気をひと口で思い出させてくれます。同じ「京野菜」、同じ「万願寺とうがらし」なのに、こんなにも姿を変える——まるで別の野菜に出会ったような驚きでした。「旬」とは野菜が自分らしくなる瞬間「旬」という言葉を聞くたびに、私は単に「出荷のピーク」というより、その野菜が最も自分らしさを発揮している“瞬間”のことだと思います。賀茂なすは初夏なら皮がやわらかく煮崩れやすいけれど、盛夏には身が締まり田楽にも耐える。九条ねぎも春と冬では香りもぬめりも変わる。堀川ごぼうに至っては、霜が降りてからが本番です。その風味はまさに冬だけのごちそう。こうした「旬の移ろい」を感じ取るには、やはり日々の仕入れで野菜に触れるしかありません。重さや色、香り。数字では測れない「その日の気配」を、そっと確かめながら積み重ねていくのです。料理に表れる「今しかない旬」料理をしていて面白いなと思うのは、「今日の万願寺とうがらし、どうやって使おうかな」と考える瞬間です。6月なら細かく刻んで出汁のゼリーと合わせ、さっぱりとした前菜に。8月なら炭火でこんがり焼いて鰹出汁で含ませる。どちらも「旬」ですが、それはひとつの姿ではなく、季節の中で変化していく“その時だけの表情”なんです。だから私は「今が旬です」という言葉を、断定ではなく「今しかないこの顔を、ぜひ味わってほしいんです」という願いのように伝えたいと思っています。旬は生きている存在食材と向き合っていると、「旬」はただの時期やスケジュールではなく、生きている存在のように思えてきます。そして、その小さな変化に気づけたとき、料理人としての感覚も少しずつ育っていくのです。今日も野菜が届いたら、まずはそっと手に取ってみます。「さて、今年の万願寺とうがらしは、どんな顔を見せてくれるだろう」——そう考えながら、静かに包丁を構えるのです。京野菜でシーズナルコースを組み立てる料理人が京野菜を使うわけ京野菜を活かす引き算の仕事