東京・神泉で「ぽつら ぽつら」「うつら うつら」を営み、両店にてミシュラン・ビブグルマンを獲得した料理人・米山有氏が綴るコラムです。日々の厨房で京野菜と向き合う中で感じる、食材の力と生産者の想いについてお届けします。一皿が生む、お客様の表情の変化たったひと皿で、お客様の顔がふっと変わる瞬間があります。口にした途端、目が丸くなり、次のひと口で静かに笑みがこぼれる。それが、京野菜の力だと、私は思っています。ある夏の日、冷たい賀茂なすの焼き浸しをお出ししたときのこと。火入れした果肉はとろとろで、香ばしさと甘みが混ざり合い、たった一切れで「こんなナス、初めて食べた」と驚かれました。それは私の腕ではなく、素材そのものが引き起こした反応でした。「高いけど、やっぱり京野菜は違う」——そう思わせてくれる一瞬が、料理人には確かにあるのです。農家のひと手間がつくる「違い」けれど、その「違い」には、裏打ちされた日々の積み重ねがあります。ある農家さんの話を聞いたとき、私は思わず言葉を失いました。京の伝統野菜のひとつ「伏見とうがらし」を育てている方。朝早くから畑に出て、まだつぼみのうちから毎日状態を見て回る。花が咲いたら一つ一つ手で摘み、枝の負担を軽くして実が美しく均一に育つようにする。そのひと手間があるからこそ、店に届く伏見とうがらしはまっすぐで、すっとした姿をしている。皮は薄く、火を入れれば驚くほどやわらかく、しかも種の苦味が少ない。「こんなとうがらし、どこにも売ってない」とお客様が口にされるのも当然です。繊細さゆえのリスクと努力その繊細さがあるからこそ、リスクも極端に高いのです。ある年の夏。台風が近づく前日、農家さんから電話がかかってきました。「明日、たぶんもう出せません。今朝、全部収穫して送りました」と。軒並み倒れる畑、枝が折れ、実が落ちてしまう。台風一つで数ヶ月の苦労がすべて水の泡。だからこそ、風が吹く前に必死に手で摘みとってくれる。そういう努力があって、私たちの厨房に野菜が届いているのです。京野菜の値段に宿る物語もちろん、京野菜は高い。市場に出回る他の野菜の倍以上することもあります。でも、それには理由がある。味だけではなく、その背後にある手間や育てる人の想い、そして「守り継がれてきた時間」の分だけ、その価値が宿っているのです。私は、それを料理の中で伝えたい。九条ねぎを刻むと、包丁の刃が吸い込まれるように入っていく。ぬめりがまるで海藻のようにとろりと絡み、火を通すと甘さがじんわり染み出す。そんな一皿が、ただの「薬味」ではなく「主役」に変わる。その変化の奥に、何代にもわたって続けてきた農家の営みがあると知れば、誰だってその味に、もう一段深い感動を覚えるはずです。料理人としての誇りと責任「値段の裏には、見えない物語がある。」私はそう信じています。料理人として野菜に手を加えるというよりは、その物語をどうすれば壊さずに届けられるか。そこに意識を向けるようになりました。高いから特別なのではありません。特別なものが、ちゃんと“高い”値段で流通している。それは、食材がものではなく“誰かの手の温度”を帯びた命であるという証です。だからこそ京野菜を使うこと。それは料理人としての誇りであり、日々の仕事に対する責任のように、私は感じています。京野菜でシーズナルコースを組み立てる旬になると野菜が自分らしくなる京野菜を活かす引き算の仕事